二つめに、いのちのほうがいのちのない石に勝(まさ)ったことです。
私たちは死がいのちを、これまで積み重ねてきた人生をいとも簡単に終わらせるものと考えています。しかし、聖書は全く違うことを語ります。こうです。「死がいのちにのみこまれる」と。
人生の死生観、人生観をひっくり返さんばかりの主イエスの復活のいのちを語っています。死でさえも飲み込んでしまうイエス・キリストのいのちが鍵です。石割桜が人々を驚かせる以上にこの主イエスのいのちに生きる人生の魅力こそがどの時代の人々をも引き付けてやまなかったもの、その人生を確かに変えてきたものでした。
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