三つめには、石を割って発芽させてくださった神がいらっしゃることに希望と期待を持つことです。
困難な状況の中にあるほど、能力や資金力、整えられた状況さえあれば、あれもこれもできるのにと考えてしまいやすいものです。しかし、誰にとっても期待も希望もついえたように見えた十字架の上にかけられた主イエスこそが、復活のいのちを私たちにもたらしたのです。私たちの問題は、問題という石があることではなく、人生にのしかかる石を割ってくださろうとする主イエスをわたしの人生に確かに迎え入れようとするかどうかということです。
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