国分寺バプテスト教会からお送りする約10〜20分の動画ショートメッセージ。

ミニカフェ夏の子ども向けのキャンプにて夏の子ども向けのキャンプにて夏の子ども向けのキャンプにて礼拝の通訳中です

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2015-1-1

2015年の新年のごあいさつを申し上げます。


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2014-6-20

キリスト教入門 第3回 「祈りについて① 〜私たちの神様に祈る

2013年9月の収録です。


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2013-4-1

キリスト教入門 第2回 「聖書について」


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2013-1-1

キリスト教入門 第1回


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2012-8-11

あなたの宝、あなたの心

聖書: マタイの福音書 6章 19〜21節


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2012-4-8

いのちがあふれて

聖書: コリント人への手紙 第二 5章 1〜4節


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2012-1-7

世界の希望

聖書: コリント人への手紙 第二 6章 9, 10節


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2012-1-1

これに恵みあれ

聖書: ゼカリヤ書 4章 6, 7節


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2011-12-22

闇の中に輝く光

聖書: ヨハネの福音書 1章 3〜5節、9〜12節


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2011-11-14

目を留めよ 〜 祈りで求めるべきこと 〜

聖書: ハバクク書 2章 1〜4節


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2011-9-28

目を留めよ 〜 祈りで見るべきこと 〜

聖書: ハバクク書 1章 5節


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2011-7-31

イエスのお心、あなたの信仰

聖書: マルコの福音書 5章 25〜34節


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2011-6-20

無理な注文

聖書: エペソ人への手紙 3章 14〜21節


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2011-5-3

たまたま、ひとり

聖書: ルカの福音書 10章 25〜37節

被災地で痛みと悲しみを背負われているお一人おひとりに神さまの慰めを心よりお祈り申し上げます。

私どもの教会で結婚式が続いています。その式の中心は新郎新婦の誓約です。そこには決意があります。愛することには決意の部分が少なからずあります。

でも、今日はちょっと違った視点からこの愛することを考えます。イエスは「隣人を愛する」たとえに、「たまたま、・・・」(31節)と言い始めました。これは「偶然に」ということばです。

この「たまたま」の出来事は、(1)神を愛し、人を愛する、ということ(機会)は、誰にも起こること。特別な人だけがなせる命令ということではないこと。(2)神を愛し、人を愛するとは「彼を見てかわいそうに思い」という、本当に小さなことから始まること。(3)そして、それによって自分たちの予定や計画、目標が変わることを悪いこととしないこと、を教えています。

たまたまそこを通りかかったサマリヤ人にとって、重傷の人を介護するような十分な救急用具を持ち合わせていなかったでしょう。でも倒れている人を見て、かわいそうと思ったときに、そこにアイデアが出てきました。何とかしようとするところに必ず何かが起こります。

私たちも神の不思議な「たまたま」に出会うことをいとわない者でありましょう。


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2011-4-8

復活の桜

このたびの震災で痛みを背負われているお一人おひとりに神さまの慰めを心よりお祈り申し上げます。

その東北の盛岡市に石割桜と呼ばれる桜木があります。そう呼ばれる理由は、高さ2メートル、まわり25メートルにもなる花崗岩を真っ二つに割って見事な枝をはり、毎年きれいな花を咲かせているからです。樹齢350年とも言われています。この石割桜を観ていて、墓の重石をのけて復活されたイエス・キリストのお姿が重なってきました。

岩のような重しが人生にのしかかってくることがあります。しかし、「この桜にとって石があることは問題にならなかった」「いのちのある桜のほうがいのちのない石に勝った」のです。私たちにとっても人生の重石を割って、きれいな花を咲かせて下さる復活のイエスに希望と期待を持つことが大事です。

次の聖書の言葉を覚えてください。
「死ぬべきものがいのちにのまれてしまうために」
普通は、いのちが死に飲み込まれると考えがちですが、聖書はその正反対、逆転を語ります。皆さんの人生にもこの逆転が起こります。


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2011-3-12

鷲のように翼をかって

人生の岐路に立っている方々もこの時季には多くいらっしゃることでしょう。思うようになったともっている方も、残念なことにがっかりしている方もいらっしゃるでしょう。

聖書に、若者も疲れ、また若い男もつまずき倒れる、とあります。これは、屈強で、疲れ、倒れるはずがないと思われる人でさえ、疲れ、倒れるということです。つまり人は誰もが、思うようにいかないことがあるのです。

同時に聖書は、誰でも新しく力を得る(自分の力をリニューアルできる)といいます。そうありたいと願う者です。

条件が一つあります。主を待ち望む者は、です。
それは、私の計画を遙かに超える確かな英知をもって、あきらめることも、私のような者に疲れることもなく関わり続けてくださる神に頼ろうとすることです。


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2011-2-7

よいことばをもって

悪い言葉よりも良い言葉で、自分や相手を正しく評価できたら、あなたも相手もその人生は素敵ですよね。

神を賛美することも、人を祝福することも、「良いことばを告げる」という同じことばなんです。その良い言葉を告げる人生を生きるためには、まず神様への献身(真実な応答)が必要です。

ここに登場するシメオンという男性は、自分のいのちをもって神へ献身する(応答する)ほどの覚悟をもっていました(29節)。次に、神様に委ねること(待ち望むこと)です(38節)。委ねるとは「おやすみ」ということばと同じです。眠るということは、自分で何もしない、委ねるしかないからです。

神様に献身・応答をして、神様に自分を委ね、待ち望むとき、必ず神を賛美し、人を祝福することができるようになります。

あなたのことばで多くの人が祝福されますように。


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2011-1-9

あなたのいるところから

みなさま、新しい年をいかがお過ごしでしょうか。

この一年もあなたの上に主イエス様の祝福が豊かにありますように。

新年どんな願い事をしましたか?願うということは自分の欠け、不足を知ることにもなりますので、人間の正直な行為だと思います。同時に、欠けていると思う分だけ、それを自分のものにしたいという欲も出てきます。

今日の聖書は、アブラハムの使用人と甥のロトの使用人との間のトラブルを解決するために、アブラハムおじさんがロトに好きな土地を取らせます。彼に残った土地というのは牧畜にも適しそうにないところでした。そんなアブラハムに神はお声をかけます。

残り物しか見えない状況で、手には何もなかったと思うときに、神の祝福は始まるのです。


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2010-12-5

クリスマスのほんとうの迎えかた

クリスマスおめでとうございます!!

聖書にはクリスマスを対照的に迎えた登場人物たちがいます。ヘロデという王は、クリスマスの知らせを聞いて恐れました。彼にとって自分の立場を危うくするものの誕生は、それが神であっても邪魔だったからです。彼の内面の自信のなさ、不安の裏返しでもありました。

一方で東の国からの博士たちがいました。素性は不明ですが、危険を冒して遠くからやってきました。クリスマスにお生まれになったイエスのためには犠牲を払っても惜しくないという気持ちがあふれていたからです。

私たちはクリスマスの主人公を本当にお迎えしようとしているでしょうか?イエスをお迎えすれば、必ずあなたの人生は変わります。そう聖書が約束しています。